点数は、つけません
この記事のポイント
- 点数はわかりやすいが、いつのまにか「従うべき指示」になり、人は数字を上げること自体を目的にしはじめる(グッドハートの法則)。
- 一つの点数は、あなたが自分の身体を読む力(内受容感覚)を少しずつ鈍らせる。「72点」という答えが、自分の感覚を確かめる前に割り込むから。
- だから鏡は、採点ではなく方向とパターンを映す。点数は「従うもの」、パターンは「考える材料」。判断は、いつもあなたに残す。
前回のおさらい
前回「すぐに映らないのは、あなたの鏡だから」で、鏡があなただけのものになるには、少し時間がいる、と書きました。そしてその最後に、こう予告しました。私たちが「今日は72点」のような点数を、あえて出さない理由について。
今回は、その話です。
点数は、わかりやすい。だからこそ。
「今日のコンディションは72点です」。こう言われると、わかりやすい。数字は客観的に見えますし、自分がいまどのあたりにいるのかも、ひと目で分かった気になります。
率直に言えば、私たちも、点数を出すことはできます。生体・運動・栄養のデータを一つの数式に流し込めば、それらしい数字は作れます。
でも、私たちはそれをしません。
点数は、いつのまにか「主人」になる
一つの数字を毎日見せられると、人はいつのまにか、それに従うようになります。
「44点だから、今日は休もう」。「85点だから、攻めていい」。はじめは参考にしていたはずの数字が、いつのまにか、従うべき指示に変わっていきます。
そして、もう一つ厄介なことが起きます。数字が「目標」になると、人はその数字を上げること自体を、目的にしはじめる。経済学者チャールズ・グッドハートに由来する「グッドハートの法則」として知られる考え方があります。平たく言えば、「ある指標が目標になると、それは良い指標ではなくなる」というものです(この平易な言い回しは、人類学者マリリン・ストラザーンによります)[1]。
睡眠スコアを上げようとして、眠りを気にしすぎ、かえって眠れなくなる。点数のために、点数を追う。気づけば、見ているのは自分の身体ではなく、数字のほうです。
これは、会社の経営理念やパーパスを実現するための手段として置いたはずのKPIが、いつのまにか目的そのものになってしまうことと、同じ構図です。
それは、あなたから「自分を読む力」を奪う
ここに、私たちがいちばん避けたいことがあります。
以前、身体の微細な信号を自分で感じ取る力(内受容感覚)が、私たちの判断を支えている、という話を書きました。「なんとなく重い」「今日は妙に冴えている」。その感覚こそ、あなたが自分の身体と対話するための、大切な入り口です。
一つの点数は、その入り口を塞いでしまう可能性があります。「72点」という答えを見せられると、人は自分の感覚と、数字とのギャップにとまどってしまう。もし、スコアのみに従い、自分の感覚の声を聞かなくなってしまうと、自分で自分を読む力は、少しずつ鈍っていきます。
点数の便利さは、「自分との対話時間を省略する」という便利さでもあるのです。
点数ではなく、方向を
では、私たちは何を映すのか。点数の代わりに、方向とパターンをお見せします。
「あなたのHRVが、平常より低い日が続いています」。「タンパク質の多い夕食の翌朝に、夜間の目覚めが増える傾向があります」。これらは、採点ではありません。あなたが自分で解釈するための、事実です。
「72点」はアプリの意見ですが、「こういう傾向がある」は、あなたのデータそのものです。前者は従うもの、後者は考えるための材料です。
点数は、答えを与える。鏡は、あなたの判断を、あなたに返す。
鏡は、あなたに答えを渡しません。あなたが自分で答えにたどり着くための、材料と、あなた自身の感覚を、そのまま手元に残しておきます。
終わりに
点数をつけないのは、あなたを不便にするためではありません。あなたが、自分の感覚を手放さずにいられるように、です。
次回は、データはあなたのもの、という、当たり前でかつ一番重要な要素の話を書こうと思います。
参考文献
- グッドハートの法則。C. Goodhart (1975) の議論に由来し、「測定が目標になると、良い測定ではなくなる」という平易な言い回しは M. Strathern (1997) による。概説:en.wikipedia.org/wiki/Goodhart's_law